労働は善でも悪でもない (1年働いてわかったこと、多いような少ないような)
仕事をしてると、私が内勤ばっかりだからかもしれないけれど、「一生こんな感じか」という「とんでも閉塞感」がやってくるときがある。
天気いいじゃん、外に出してくれ。
嵐なのに会社に向かわなきゃいけないなんて。
仕事なんて悪だ。
みんなで遊んで暮らそう。
って気持ちになる。
私を会社に縛って、気持ちを硬直させているのはどこのどいつだ。
1)縛っているのは他人の言うこと。
「お前のやってることは効率が悪い」
「○○さんの味方をしてると会社で立場失うよ」
「いつもネイルかわいくしてるね、お金かからない?」
「残業してるから偉いってもんでもないよね」
「質問する前によく考えろって言っただろ。本当に考えた?」
職場にいる他人はほぼ全員もちろん仕事の先輩だ。人生の先輩でもある。
バカにしちゃいけない。頭から嫌うとややこしくなる。でも鵜呑みにしてもいけない。
同じ仕事をしていても、何をプレッシャーと思い、何を喜びや憂鬱に思うかは、生い立ちもこれまでの体験も違うから、その先輩と全く同じようには感じられない。その先輩と同じように自分は育たない。
職場環境に対する、客観的な目を忘れない。
2)縛っているのは自分自身。
「次の仕事に繋がってなきゃいけない(大した経験にならなそうだから適当にやっちゃお)」
「一度できなかったことは次は完璧にできないといけない(今回も1個失敗しちゃった)」
案外、さっきやったことの行程の一部くらいは、次に役立つ。例えば、さっきエレベーターホールで話したおじさんが勝手に好感抱いてくれて、話をきいてみたら上司の大先輩だったり。電話の取次が間違えなくできたり。
あと、1年目が1回失敗したからって、会社は潰れない。
(そんなんで潰れるリスクがあるなら、新人は雇わない。)
だから大丈夫。考えた痕跡があれば、1度目はセーフ。
何が悪かったのか、どうしたら今より良くなるのか。
何を不満に思い、何に失敗しやすく、どうすると気持ち良く立ち回れるか。封じておくところはどこか。
商売に対して、自分に対して、客観的な目を忘れない。
労働は悪だ、と思う時。
労働は善だ、と思う時。
前者は、それそのものの辛さ、つまり量の多さや、プレッシャーや、気分に関係ないハプニングを恨んでいる。
後者は、それがもたらす達成感や、お金や、人とのつながりを嬉しく思っている。
内容そのものは、楽しいものじゃないことのほうが今のところ多い。
しかし、過程や結果が、時に思いがけないものを運んでくれる。
善か悪かは、同じフィールドに乗っていないから決められない。
善でも悪でもない。
か、善でも悪でもある。
だから、サークルみたいに常にハイでもいられないし、勉強みたいに、ある程度自分のペースで思い通りににもならない。
こうやって噛み砕けていると、もうちょっとできそう、と落ち着いて一呼吸できる。
それでもダメなら、なるべくはやく帰る。
で、自分の好きなことをする。
仕事の時間以外に、仕事と自分を見つめすぎない。横道にそれて、ちょっとだけ遊ぶ。
これ、案外重要。1年経っても、全然できない。
さて、年度末ですな。